5日の午後6時32分に亡くなったと、夕方、母から電話がありました。78歳でした。
長生きした方だと思います。私の歳まで両親が健在というのは、幸運な方だと思います。娘が私の歳になるまで、私達が健在でいるかと言えば、ちょっと自信がありません。ここ数年は体調を崩すことが多く、遊びに行っても余り孫とも遊べない状態でした。それでも夫には、
「良い想い出をありがとう」
と何度も言っていたそうです。父はよく言っていました、子どもは親より先に死んではいけない。そして、孫の顔を見せるのが一番の親孝行、と。その2つは何とか果たすことが出来たから、幸せだったと思って良いでしょうか。
海外にいると親の死に目にあえない、その通りとなりました。母と兄が看取ったそうです。
両肺がダメになり、呼吸困難になり、喉に穴を開けての延命措置もできたそうですが、父は以前からそんなことをしてまで生きていたくないと言っていたので、それを尊重し、そのまま亡くなったと言っていました。
意識はあったのか、苦しがっていなかったのか、聞けませんでした。電話なのに何も話せなくなってしまって。横にいた娘が、
「マミィ、どうしてお目々おさえているの?どうして泣いているの?」
と言って、それを聞いた母が、
「そう...」
と言ったきり。兄が電話に出て、葬儀の日程について話していたら、
「(兄の声が)おじいちゃんに似てる」
と娘が言っていました。娘はおじいちゃん宛の手紙を書いて速達で送ったばかりでしたが、間に合わなかったようです。
酒もタバコもしない、無趣味な人でした。子どもの成長だけが楽しみで、仕事を一生懸命頑張って、それが体をこわす原因になって。頑固で、ここ数年は特に偏屈じじい気味でしたが、私や娘のことはいつも気にかけていました。自分が入院してからも、私が3月に受ける手術のことを心配していたし、昨年11月に帰った時も「体に気をつけろ」とそればかり。
帰る度に弱っていく父に、毎回、これが最後かもしれないと思っていました。もっともっと孫に会わせてあげたかったけれど、なかなか学校が始まると帰れなくて。具合が悪いのに、私達が行くと必ず玄関まで出てきて、娘を抱っこしてくれました。娘が生まれた時は、
「小学校にあがる時まで生きていられるかな」
と言った父。娘が話を出来るようになると、
「英語を話せるようになってアメリカを案内できるようになったら、アメリカに行くよ」
と娘に言っていた父。それが叶うことのない夢だと、きっと分かっていたのでしょう。
私がやりたいと言ったことは、母の反対を抑えても、賛成してくれました。初めて母の不在で料理をした時、ほうれん草の端を切るのを知らなくてそのまま出したのに、父は何も言わずに食べてくれました。子どもの時、1人で寝ようとしてもなかなか寝れなかった時、父が横に来たらすぐに寝れたので、起きてからそう言ったら、
「お父さんがいて安心したんだろう」
と言っていました。子どもが好きで、頑固だけど優しい人でした。
明日、家族で帰省します。しばらく更新できません。



・小さい人形達を使って遊ぶのが最近のブーム。並べて得意げ。
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