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プリスクール3年目(キンダー) :05 保護者面談

2010年3月20日

今年度2回目にして、通算6回目、そして最後の保護者面談でした。学校はお休み。娘も連れて行き、その間は預かって貰いました。娘はちょっと躊躇っていましたが、すんなり部屋へ入りました。

面談が始まり、最近のお仕事で書いた物や写真を見せて貰いながら、様子を聞きました。

英語では文章はまだ無理ですが、簡単な単語は読め、今年から筆記体を習っているとのこと。そう言えば、最近は名前を筆記体でよく書いています。
バインダーには筆記体で単語の書かれた小さな紙がいっぱい入っていました。theがいくつかあったので、並べて文章を作る練習をしているのかも知れません。cow、big、small、farmer、goose、nest、walking、fish、crab、rat、hen、male、helmet、horse、lampといった単語がありました。

日本語では実際に文章を書く練習をしていて、絵日記のように日付とイラスト、短い文章を書いた紙をもらいました。
「ぱぱとままとにほ
 にほんにいたよに
 ほにほんでごはん
 たべたよおばあち
 やんにあえたよ。」
にほんをやたら繰り返して読みにくいですが、こんな感じ。句点は文章の最後にしか付けないと勘違いしているようです。

算数は4桁の引き算をしていました。計算はできていましたが、数字がひっくり返ったりして、かなり怪しい書き方です。

他には時計の読み方を練習した物がたくさんありました。半だけでなく、15分なんてのも!でも家では読んでくれないんですけどねえ。

娘はハードワーカーで、毎日自分で適切な仕事を見付け、熱心に集中してお仕事しているそうです。そして疲れるとだらだらして休憩しているとか。
だらだらと言えば、ふにゃふにゃと真っ直ぐ立っていられないことを相談しましたが、子どもによるので余り心配はいらないと言われました。小学生でもそういう子は多いそうです。

9月からは公立の学校です。今の学校では子どもがやりたいだけ、どんどんやらせているし、娘もどん欲にいろいろ進めているので、公立に行ったら、自分の分をすぐに終わらせてしまい、持て余して先生を困らせるんじゃないか、目に見えるようだと、先生に言われました。
ううーん、1年間、持て余してしまうかしら。ちょっと心配になりました。でも午前中の数時間だけだし、確か、簡単な絵本を読ませるくらいはするようだし、日本語の勉強もあるし。全く同じことをする訳じゃ、ないですからね。

問題は特に無しということで面談は終了。今回の質問票は、またまた先生から保護者への質問という形で書くのが大変でした。毎回変わるようになったのかな。来年度は同じかしら。

娘を迎えに行くと、Mちゃんいなかった、とすぐに出てきました。いたのはIくんだけだったと。そうか、残念だったね。

小林まこと :青春少年マガジン1978~1983

2010年3月19日

cover[完] 第1話 格闘三兄弟、第2話 授賞式、第3話 『1・2の三四郎』連載開始、第4話 パーティー、第5話 トリオ結成、第6話 初の単行本、第7話 すげぇ奴、第8話 超修羅場、第9話 我が良き友よ、第10話 切ない日々、第11話 吉報、第12話 痛恨、最終話 永久に不滅、巻末おまけ 小ん林先生の漫画青春録

成長記録〜6歳 :生後281週目(日本へ里帰り終了)

2010年3月19日

・JPN)告別式のため、早起きしてタクシー。雨・雪も止んで良い天気。娘はすっかり顔なじみとなった親戚にニコニコ。
・JPN)告別式開始。昨夜はビビった献花も、今日は自ら出来ました。相変わらず黙祷では1人で座っていましたが。棺へのお花入れでは、母が孫娘を横にキープ。移動した焼き場でも手を繋いでずっと一緒にいました。
・JPN)待合室では初めてさきイカを食べてお気に入りに。バアバから苺の差し入れがあって、パクパク。
・JPN)お骨拾い、娘は骨の仕組みに興味津々だったそうです。父は骨が丈夫だったので、しっかり残っていました。
・JPN)お食事会。お腹いっぱいだったのか、コース料理のほとんどを食べず。お味噌汁を少し飲んだだけだったかな。
・JPN)帰宅後、皆どんどんと帰ってしまったので、母と4人で近所のトンカツ屋さんへ。「美味しい」と店員さんに伝えたにも関わらず、2個くらいでお腹いっぱい。いつもあんなに食べるのに!やっぱり普通じゃないのかな。
・JPN)バアバから貰った蜜蝋クレヨンでお絵描き。伯父さんも巻き込んで遊ぶ。最後は謎のクジラ工作。
・JPN)がんばる舎の無料教材に挑戦。半月分をやる勢い、やはりこの手の物が大好きです。
気分はドラマー・JPN)銀行の用事で渋谷に行ったので、天麩羅屋さんでランチ後、東京都児童会館へ。作夏に来たのを娘は覚えていて、フラフープで遊んだり、人体迷路に入ったり...そこで男の子3人組と仲良くなってました。図書のひろばでは大好きなストーリータイムに参加、何冊も読んで貰っていました。その後、音楽のひろば、パソコンコーナーと遊びまくり。あるゲームコーナーではそこにいた子とお母さんと仲良くなり「あと1回寝たらアメリカに帰るの」とか話してました。
・JPN)自宅でおばあちゃんと夕食。餃子をパクパク。
・JPN)アメリカへ帰る日。フライトが遅いのでのんびり。おばあちゃんにお誕生日おめでとうの絵を描く。描いたのは包装紙の裏...他になかったのかい。おじいちゃんにお焼香をして写真も皆で撮ってタクシーに。
・JPN)空港ではバアバが待っていましたが、相変わらず慣れない娘。バアバはガチャガチャだ、アクセサリーだといろいろ買ってくれてるのに。
・JPN)行きは降りる5分前に寝た娘、帰りは3時間前に自ら「寝る」と寝てました。楽になったわあ。
・無事にアメリカ到着。空港ではあんなに眠たがっていた娘、帰ったら全然寝ません。がんばる舎の続きをしました。3分の2終わってしまった...。
・Pre-Ballet 2、時差ボケと疲れで起きたのが出発の30分前。髪も結べず...途中で結びました。もう発表会の練習に入っていて、娘は急いで仲間入り、まあまあちゃんとやっていました。先生に日本の話をしたら、「可哀想ね」と言ったそうです。
・「MISIC(※Music)」と描かれたポスター(※紙)を見せられ、いきなりコンサートタイム。ポスターには楽譜も書かれ、それを見ながら各楽器で演奏です。面白いね、キミは。
・Happy Hollow Park and Zooリニューアルオープン、メンバーデイに行きました。すごい人です。かなり大がかりに変えているだったので、全く新しいかと思いきや、中はかなり前の面影がありました。娘はプレイエリアが気に入って、しつこく遊んでいました。ライドは混んでいたので新しくできた1つだけ。次はもっと空いている頃に来ます。
・キンダー)久し振りの学校。皆にどこに行ってたの?と訊かれ、「遊園地に行ったの」と答え、皆「そうなんだ」と言ったそう。訊きたかったのはそういうことじゃないと思うよ、娘。先生には日本に行った話をしたそうです。
・Swim Lesson Starfish、3人。ちょっと遊びがち。娘に注意。
・しまちゃんとおーちゃんが届き、しまちゃんDVDをとても気に入りって毎日観てます。おーちゃんも頻繁にしてます。
・キンダー)チャイニーズダンスに泣かないで行ったそうです。泣くなよ...。
・Music for the YOUNG CHILD 2、宿題は4小節の楽譜を見て質問に答え、グロッケンシュピールで演奏をすること。時間が無くて慌ててしました。クラスはとっても楽しかったそうです。
・食事:こういうのは好きじゃないかなと思っていた天丼を、気に入って1人前ペロリ。
・娘語録「(親戚にパパに似てるね、と言われ)えー、似てないよぉ。だってペコちゃんのが髪が長いし−。靴下の色も違うし−。」<そこかい!

情景や映像がキレイ・スゴイ!圧巻の映画 :2012  2012

2010年3月18日

cover2009年。太陽の活動が活発化した結果、地球の核が熱で溶解している事を発見したインドの科学者テンジン博士は、友人であるアメリカの地質学者エイドリアン・ヘルムズリーにそのことを伝えた。エイドリアンはすぐに大統領首席補佐官であるカール・アンハイザーに報告、アメリカ合衆国のウィルソン大統領は世界各国の首脳と連絡を取り、密かに世界各地の歴史的な美術品を偽物とすり替えるなど、人類を存続させる一大プロジェクトが進行される。そして2012年、売れない作家で、ロシアの大富豪ユーリ・カルポフのリムジンの運転手をしているジャクソン・カーティスは、別れた妻ケイトと同居している息子ノアと娘リリーを連れ、イエローストーン国立公園にキャンプにやってきた。そこで政府の怪しい動きと、枯れてしまった異常な湖を発見する。ラジオで世界の終末を予言しているチャーリー・フロストは、ジャクソンに数々の証拠をつきつけるが、ジャクソンはノアがケイトの現恋人であるゴードン・シルバーマンに懐いていることの方が気になった。そんな時、各地で地面に激しい亀裂が起こり始め...。

this, that and the other :父のこと3

2010年3月18日

父の通夜から、早いものでもう1週間が過ぎました。

久し振りに会った父は、棺の中に横たわっていました。とても穏やかな顔で、口元は笑っているようにも見えました。
前日、納棺師の方が来て、綺麗にお化粧してくれたそうです。

2月の終わりに両肺が機能しなくなった父に、延命措置を行うかどうか、病院側から家族に打診がありました。以前から、そんな状態になってまで生きていたくないと言っていた父だったので、家族は延命措置はしないことを決めました。ただ癌などと違い、余命がいくらかとは、肺の場合は言えない。急変するかもしれないし、意外と大丈夫な時もある、と。
「妹は海外にいるので、すぐに呼べません」
兄はそう言って、母も私に、その時はその時だから、あんたは自分の生活をしっかりしなさい、と言われました。

急変、それは肺が機能しなくなったために痰がたまり、それを自ら吐き出せないという、中からの窒息、呼吸困難。それはすぐにやってきました。しかし父はそれを乗り越え、次の日には「あれは何だったの?」というくらいケロッと元気になったそうです。
「この分なら大丈夫かも知れない...」
母が言い、私も希望を持ちました。柄にもなくブログに願い事が叶うゲームなんて載せて、父の回復を祈りました。
次の日、また急変。それも父は乗り越えました。痰を取り出すのは鼻から器具を入れるそうで、とても苦しいらしく、声を荒げたことなどほとんどない父が、
「殺してやる」「化けて出てやる」
と看護婦さん達を罵ったそうです。そして疲れたのか、次の日はうとうとと寝てばかりだったと。

亡くなった日。父は朝から元気で、母や兄とも会話をし、最後の言葉は、
「ボールじゃないよ、タオルだよ」
ボールと聞き間違えた母に、タオルを取って貰い、自ら額の汗を拭いたそうです。その直後の急変、父はもう戻ってきてくれませんでした。
最後の数時間は苦しむこともなく、酸素の低下により徐々に内臓機能が低下、静かに、眠るように亡くなったそうです。

入院中の父。
枕が合わず、眠れないと言って、自宅でずっと使っていたテンピュールの枕を持ち込む許可を貰ったと言っていました。これは私がアメリカからお土産に買っていった物で、初めて使った次の朝、「これはすごく良い。首の痛みが無くなった」ととても喜んでずっと愛用していた物でした。
「娘がくれた枕で、100万くらいする」
と医師や看護婦さんに冗談を言っていたそうです。

また、以前お世話になった医師が顔出しに来てくれた時、いきなり握手を求め、
「ありがとうございました」
とお礼を言ったと。何か、感じる物があったのでしょうか。

家に帰りたくて帰りたくて堪らなかった父は、亡くなる前日の夜、母が「じゃあ、今日はもう帰るね」と言ったら、手を差し出し、
「(自分も)帰る。タクシー呼んで」
と言ったそうです。どんなに家に帰りたかったのか。その願いを叶えてあげられなかったことだけが、本当に、本当に無念です。

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